PR
Search
Calendar
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< May 2020 >>
ブクログ
New Entries
Recent Comment
Category
Archives
Profile
mobile
qrcode
RSSATOM 無料ブログ作成サービス JUGEM
スポンサーサイト
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    posted by: スポンサードリンク | - | | - | - | - |
    「罪を憎んで人を憎まず」について
    0

      梅雨らしい雨模様ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか


      今日は「罪を憎んで人を憎まず」という格言について考えてみたいと思います。

      これは孔子の言葉にあり、また、聖書にもこの精神が現れていると言われています。


      孔子は、「昔の裁判所では、裁判のとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった」
      という文脈で話したようです。

      裁判所という第三者のスタンスを、参考にすべき理想として、紛争を冷静に捉えて、

      罪人の心情を憎んでも人そのものは憎まずにおきましょう、という理想論・目標を掲げている

      ように思います。




      また、聖書のヨハネ福音書には、こういうエピソードがあります。

      ---------

      イエスを快く思わない人々が、

      イエスを陥れようとして、不倫をした女性を連れてきた。

      当時の律法では、不倫した女は投石により死刑に処す、と定められていました。

      なので、イエスが投石を拒否すれば、法に背くことになるし、

      投石すれば、イエス自身の教えと矛盾することになるし、

      どちらにせよイエスは困った立場に立たされることになる。


      イエスは彼らに取り合わず、こう言いました。

      「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

      人々は誰も石を投げることはできず、その場を立ち去っていきました。

      ---------


      イエスは、人間は誰もが過ちを犯す存在だから、他人事として罪人を断罪することはできないはず、

      私達は皆この女と変わらないのですよ、私達一人一人が当事者なんですよ、というスタンスのように思います。



      さて、この二者の見解をおさらいしたところで、私はどう考えようかな…

      「罪を憎んで人を憎まず」は、現実に何かの被害に遭っている当事者にとっては、とても難しいスタンスだね。

      第三者(裁判所)が「罪を憎んで人を憎まず」的な寛容・冷静な発言をしても、

      しょせん対岸の火事というか、火中にいないから言えることでしょ?という気もするよね。

      逆に、判断者はどっちかをエコヒイキしちゃだめで、中立に見ることが求められていると考えれば、

      「罪を憎んで人を憎まず」は裁判所に求められている役割であるといってもいい。

      しかし、これは冷たいんです。

      自分が味方を必要としている時に、周りが冷静な中立者ばかりだったら、ほんと救われないよね。




      当事者の立場では、「罪を憎んで人を憎まず」などとは中々思えないものだし、また、無理に思わなくてもいいと思うのよね。

      当事者は当事者として、自分の立場に誇りを持って、自分の立場を尊重して、

      自分の立場から言えることを精一杯言っていくことが、役割かもしれない。

      こういうことで困っているのでやめて下さいとか、私の希望はこうです、ってね。



      例えば、中国(台湾でなく大陸の方)がチベットに侵攻したとき、

      チベットは「罪を憎んで人を憎まず」とか言って鷹揚に構えている必要はないわけで。

      侵攻を受けた立場として、言うべきことを国際社会に発信し、

      自分の領域を守るために防御したり応戦したり、

      やるべきことをやっていく権利があるよね。

      それが自分に与えられた、大切な役割であるといってもいい。



      また、イエスの不倫女性の例を、日本の民法で考えると、

      不倫事件の当事者は、4人ということになるね。

      例えば、Y子&A男、 B子&Z男が、それぞれ夫婦であるとして、

      Y子とZ男が不倫したとしよう。いわゆるダブル不倫。

      この場合、Y子とZ男が、共同不法行為の加害者。

      そして、A男とB子が、被害者の立場になる。

      なので法的には、

      A男は、Y子とZ男に対して損害賠償を請求でき、

      B女も、Y子とZ男に対して損害賠償を請求できることになるね。




      このような被害者の立場になった場合、「罪を憎んで人を憎まず」とか言う必要はなく、

      自分の立場からの主張を精一杯していってよいわけだし、

      また、加害者の方も、何らかの事情や誤解があるのであれば、それを精一杯主張することが役割といっていい。



      このように、「当事者」に足場を置いているときは、「罪を憎んで人を憎まず」を無理に実践しなくてもいいと思うんです。

      また、こういう争いを前にしたとき、第三者が他人事として「罪を憎んで人を憎まず」と発言するのは軽々しいし、空しい響きがする。

      英語のことわざで、

      put yourself in someone's shoes

      その人の靴を履いてみなさい。相手の立場に立ってみなさい。

      っていうのがあるね。

      もう少し付け足すなら、

      Put yourself in her shoes, before you judge her.

      人を批判する前に、その人が辿ってきた道を、同じ靴を履いて歩いてみよ。

      という感じかな。


      第三者が軽い気持ちで「罪を憎んで人を憎まず」と言うとき、

      当事者の靴を履いていないなあ、痛みがわかってないなあ、という印象も受けます。


      しかし、被害者自身が、いつしか当事者のレベルを超えて、

      「罪を憎んで人を憎まず」と言ってそのスタンスを実践し始めたときに、

      この格言は重みを持ちます。



      第三者が言っても軽いけど、被害を被った人自身が実践したときにこそ、

      この格言の本来の意義が発揮されるのかもしれない。



      私は、この格言は、罪人が許されるための言葉というより、

      被害者が救済に向かうことを助ける言葉ではないかと思います。


      「人格者になって寛容に罪人を許しなさい」というより、

      被害を被ったあなたが相手の行為を問題視するのは、

      あなたの立場上もっともなことであり、必要なことでもあるが、

      他の誰のためでもなく、あなた自身のために、人への憎しみを手放しましょう、という意味です。



      なぜなら、憎しみのエネルギーは、憎むべき罪人には届かず、憎しみを抱いた人自身を蝕むもの。

      加えて、過ちを繰り返してしまうような愚かさは、人間の性質として、私達の誰もが持っている。

      自分も過去に似たような過ちを犯したかもしれないし、もしかしたら将来、何かのはずみで過ちを犯すかもしれない。

      だからこそ、人を許すことは、自分を許すことであり、

      「情けは人のためならず」というように、他の誰でもなくあなた自身のために、人を許していくことをオススメしますよ、

      という意味かな。




      まとめると。

      当事者の心境にも段階があり、初めから「罪を憎んで人を憎まず」の心境になる必要はない。

      もし被害を被ったら、その立場として、堂々と言うべきは言い、戦うべきは戦い、

      そうした段階を経て、そのうち「罪を憎んで人を憎まず」の心境に至れば、

      それは相手のためというよりも、第一に自分のためになることであり、

      自分の心もより一層平穏に近づくと思います。


      梅雨の時期、皆さまご自愛ください・・・


      posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 00:00 | comments(4) | - | - |
      スポンサーサイト
      0
        posted by: スポンサードリンク | - | 00:00 | - | - | - |
        周子ちゃん☆わかりやすい解説をありがとう。

        話が逸れますが
        「Put yourself in her shoes, before you judge her.」
        の箇所で映画『In her shoes』を思い出しました。^^

        話を戻します☆
        被害者に応戦する権利や役割があるという考えに深く同意します☆

        たとえば、いじめにあってる小中高校生は、
        親や先生にいじめられていることを主張するのが大事だよね。。。
        護身と次の被害者がでないようにするためにね。

        主張したあと、先生と親で対応は違うかもしれないけど。
        私なら担任に訴えて変化がなさそうなら、転校や留学させちゃうかもなあ。
        その時になってみないとわからないかもしれないけど。
        (てか、いじめる側にならないことをまずは切に願う)

        しかし、相手の立場に立つというのは本当に難しいことだよね。
        違うタイプの人間を理解するには、自分の知識や経験と想像力を深めるしかないのかもね。

        私も父の後妻さんにたいして、
        お互い大人なんだし…)無理に距離を縮めたくないけど、
        父の後妻さんは必要以上に距離を縮めてこようとするから、私とは全く違うタイプの人間だと思います。

        ところで、以前は後妻さんに対して泣き寝入りな感じだったけど
        最近は対抗意識が強くなってきたよ。
        (私の姑に私の家族について好き勝手に話してたのを知ったから、今までの鬱憤も加えて怒りマックスです。噴火寸前です。笑)

        だけど私もただでさえ育児疲れしてるから、
        直接言うとめんどうだし、
        自分の都合のいいように言いふらすのが目に見えてるから、
        お誘いをほとんど断るという作戦にでました。
        そして、兄も行くなら私も行く、というスタンスにしました。
        父・後妻さん・後妻さんのお母さんで行く北海道旅行に父に誘われた時も
        「お兄ちゃんは誘わないの〜?」と言って返事をうやむやにしたり。

        臨機応変に応戦したいと思います。。
        (言葉で勝つ自信ないし。^^;)

        | ryoko | 2013/06/25 4:56 PM |
        遼子ちゃん☆☆

        映画In her shoes, キャメロン・ディアスのだね!懐かしいな。


        それにしても後妻さんとの付き合いがストレスフルだよね( ̄◇ ̄;)

        争うのって、とてもエネルギーを消耗するよね。厄介事は、できるだけ距離を置いて回避するスタンス、とても賢明と思います。

        「君子危うきに近寄らず」

        「負けるが勝ち」ともいうし、ね!

        一見負けたように見えたとしても、あえて争うことを放棄して、いったん相手に勝ちを譲るほうが、結局は自分にとって利益になることがある、

        「負けるが勝ち」とはウマイこと言ったもんだね。


        あと、法的にも 「権利を行使することは、義務ではない」と考えられていて、

        被害者は、正面きって戦う権利もあるけど、「戦かわなきゃいけない」わけじゃないんだよね。

        戦いたい人は戦う権利がある。損害賠償請求権があるけど、実際に請求するかどうかは被害者の自由だ、ということだね。

        なので、「あえて戦わず、攻撃を回避する。引越・転校・留学する」というのも、とても現実的で賢い戦術だね。



        前に「良心をもたない人たち ― 25人に1人という恐怖」という本の感想を書いたけど、

        http://tokitaikojo.jugem.jp/?day=20100809

        身近な人でも、価値観や世界観を共有しえない人がいるのよね。わかりあうのが不可能、水と油っていうくらい、全く別の世界に住んでいるの。

        サイコパス(反社会性人格障害)とまでいかなくても、身近な人で、一体なぜこんな嫌がらせをしてくるのかわからない……と思うような人への対応にも参考になると思うわ。

        彼らは、外見的・社会的には魅力的で、感じが良く、ユーモアがあったりする。そのため、周囲の一部の人しか、その人のヤバさに気づかない。

        彼らは多くの場合、自己中心的で、攻撃的。仮に謝罪や後悔を口にしても、本心では良心の呵責を感じていない。そもそも良心が欠如しているので、罪悪感を感じようがない。

        周りの同情心に訴えて、泣き落としにより自分の行為を受け入れてもらおうとする。人の心理を巧みに操るので、とっても手ごわい。


        こんな人に出会ったら、全力で回避するのが吉だよね。もし回避しきれず、面と向かって争うことになりそうな場合には、勝つために一番重要なのは「証拠集め」だね。

        ICレコーダーで会話録音、重要なメールは保存、言われたことの日記をつける。2人きりでは会わず、必ず誰かを同席させる、とかネ。

        これを想像しただけでも、争うのって体力・精神力を消耗するよね。それでなくても小さい娘ちゃんの育児でお疲れなのにね( ̄◇ ̄;)



        「相手の靴を履いてみる」というのは、ある程度、良心をもっている者同士が誤解を解いて、お互いへの理解を深めて、和解に向かうための、一つの原則だとしても、

        これが当てはまらない例外も沢山あると思うわ。

        サイコパス対処法としては、相手の立場に立ってみようというのは、危険すぎてオススメできないわね。

        できるだけ距離をとって、厄介の種を回避して、自分の平和を守っていきましょう。

        何かできることがあれば、いつでも連絡ちょうだいね。私はどんなときも遼子ちゃんの味方よ☆
        | shuko | 2013/06/28 1:31 PM |
        味方だなんて嬉しいじゃないの〜☆このっこのっ

        以前、周子ちゃんが
        「さわらぬJにたたり無し」と言ってくれて、だいぶその言葉がお守りになってるけど、
        ・「負けるが勝ち」と
        ・「君子危うきに近寄らず」と
        ・「できるだけ距離をとって、厄介の種を回避して、自分の平和を守っていきましょう。」
        の3つも活用させて頂くね。


        それにしてもサイコパスが25人に1人とは多くてびっくり。
        自分もそうだったりして、、、なんて思いがよぎるわ。^^;

        父が結婚した相手だからサイコパスとは思いたくないけど、
        父が居る時と居ない時の私に向ける態度の違いや、
        自分の立場を有利にするために
        親戚(父側の親戚と亡くなった母側の親戚まで)にも駆け込んで
        自分の味方につけるしたたかさには恐ろしいものを感てじるよ…llllll(-_-;)llllll 

        それと
        後妻さんについて考えると過剰に過敏になってイライラMAXになる自分もこわいのよね。(サイコパスうつるのかな)

        たとえば
        私が誘いに簡単にのらなくなったのを感づいたのかわからないけど、
        このごろ、私が父とスポーツクラブに行く時にあわせて、
        毎週のように父経由でなにかくれるんだよね。
        名菓のおすそ分けや、御土産や、娘にあんぱんまんのかばんとか。

        仕方ないので、昨日御礼メールを送ったら、後妻さんから即レスがあって
        その中に
        「先日はこちらこそ、ステキナ父の日プレゼントをありがとうございました。
        Mちゃん写真集を何度も眺めています。可愛いですね。」
        と書かれてて.、異常なほど嫌悪感がわい返事できなかったの。
        その部分さえなかったらメールのほかの部分に対する返信してもよかったけど(旦那の体調不良のこととか)。

        こんなイライラしちゃいかんねー。
        相性がとにかくあわないんだな、きっと。

        と、またまた愚痴っちゃいました。。
        (-人-)ごめんよおぉ
        | ryoko | 2013/07/01 9:29 AM |
        遼子ちゃん♪

        このブログは心のデトックスを促し、モヤモヤを排出する場としてもぜひご活用頂ければと。

        なので愚痴とかも全然OKよ♪

        まあ、一応ワールド・ワイド・ウェブに発信しているので、特定の誰かの目に触れると困る事は少し工夫して曖昧にしたりね。

        今のところは大丈夫だと思うわ〜



        サイコパス25人に1人って多いよね;

        この本はアメリカのデータだから、他の地域ではまた変わってくるかもしれないね

        サイコパスはうつんないと思うけど、Jの発している波動がこちらと合わず、人体に悪影響のあるナントカ波みたいになっているかも…

        どうもパワーゲーム、身近な人間関係における政治ゲームがお好きのようで、
        前世では大奥とか仕切ってそう;

        裏表を使い分け、自分の味方を増やし、自分を脅かす(と勝手に思っている)者を、牽制しておこうとしている。

        そして自分の居場所を確立し、隙あらば更に立場を有利にしておこうという、大奥政治の執念…。あ、孫ラブアピールももちろんこの一環ですね。

        んーめんどくさ(+_+)

        ウチ大奥とか絶対ムリやわ〜

        遼子ちゃんのように基本的にオープンでフットワークの軽い人が、

        どうもこの人(あるいは物や場所でも)と合わないな〜と感じるのは、やはり自分の内なる監督が、ベンチから敬遠のサインを送っている。

        監督を信じて、華麗に回避していきましょい。

        そう、右から来たものを〜左へ受け流す〜(ムーディ)


        そして、諸行無常というように物事は必ず移り変わっていく

        ということは

        どんな災難もずっとは続かず、必ず終わるときが来るのだね。ぜひ希望を失うことなく、日々を過ごしていきましょうぞ。

        ぜひカラオケ会でもストレス発散してね〜(^^)/
        | shuko | 2013/07/02 9:45 PM |