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    「聞く」と「聴く」の違い
    0

      「聞く」と「聴く」は、どう違うのでしょうか。

      ある小学校には、

      授業は「聞く」のではなく、「聴く」ものである。

      みたいな張り紙があるそうだ。



      「聞く」は、ただ耳で聞いているだけ

      「聴く」は、耳+目と心(漢字を分解すると)


      本当に理解するというのは、ただ耳で音を聞いてるだけ、ただ目で字面を追っているだけでは、
      理解できないものなんですよね。

      なぜなら、音も文字も言葉も、表現・伝達の一つの選択に過ぎず、

      本当に伝えたい中身は、その向こう側にあるから。



      さらに、心で理解するための下地として、受け手の経験と想像力が必要になる。

      見たことも聞いたこともないものを理解するのは中々難しい。

      例えば

      真夏の太陽がじりじりと肌を焦がしてゆく海岸で、僕たちはかき氷を口にかき込んだ。

      がっつきすぎた高橋が咳き込み、僕もこめかみをキンキンさせながら笑った。


      この状況を理解するには、

      夏の太陽のカーっと照り付ける感じ、

      氷の溶けてゆく感じ、

      頭がキーンとなる感じ。

      こういった経験が全くなく、見聞きしたこともないという場合は、

      ここに使われている言葉の辞書的な意味がわかっていても、

      この状況を理解することはできないでしょう。



      色んな経験をすること(子供に色んな経験をさせること)と、

      きく時・読む時も、「心を働かせて」理解しようとする姿勢が大切ですね。

      自分の耳や目といった五官のどれかだけに任せずに、

      「この人が言いたいことはどんなことなんだろう??本当は何を伝えたいんだろう??」と。


      伝わらない・理解できないというのは、

      話し手(書き手)が、相手の辞書にない言葉を使っている

      受け手(読み手)が、理解するために必要な受け皿を持ち合わせていない

      などの両方が組み合わさっていることが考えられ、

      どちらか一方の努力だけでは解消できない場合が多い。


      心で聴く、心で読む、を心がけていきたいと思います♪

      posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 00:00 | comments(2) | - | - |
      脳のストライキ
      0


        頭を使わないでいると、じわじわ頭痛が始まります。

        そう、2日間ほど勉強しなかったら、もう脳内に鈍痛のような痛みが……

        野球選手が2日間練習しないと体がなまる、みたいに、脳がなまるというか…

        私はこの現象を、「脳のストライキ」、

        具体的には、「大脳新皮質のストライキ」 と勝手に名づけています笑




        脳の働きとして、

        (1)動物的・本能的な脳である、大脳辺縁系(古い脳)



        (2)人間的な思考、意識的な行動を司る、大脳新皮質(新しい脳)

        とが、よく対比されて説明されますね。

        大脳の図-感情の大脳辺縁系と知性の大脳新皮質


        以下に研究者の説明を引用します。

        -------

        私たち人間の持つ特徴の一つは、大きく発達した脳を持っていることです。

        その中でも、大脳の表面を覆う大脳新皮質は、哺乳類のみが持ち、

        知覚・思考・記憶などの脳高次機能を担っています。

        人間は、哺乳類の中でも特に発達した大脳新皮質を持つため、

        大脳新皮質こそが人間を人間たらしめている、

        重要な要素のひとつだと考えられます。

        http://www.biochem.s.u-tokyo.ac.jp/major/major_1/sanada

        -------

        人間は、人間脳によって、動物脳をコントロールしているのですね。


        特にチャレンジングな出来事が何もない日は、

        特にアタマを使わなくても普通に一日過ごせると思いますが、

        たぶんその日は、大脳新皮質は鍛えられていないと思います。

        もちろん無意識レベルでは大脳新皮質もバッチリ働いていますが、

        意識的にアタマを働かそうとしていない、という意味で。



        茂木健一郎氏は、脳は進化・成長を続けるという説を唱えていますが、

        私も自分の実感として、そうなんだろうなーと感じています。





        大脳新皮質の「本能」は、成長・発達である、と。

        私の頭痛は、本来成長を続けるはずの大脳新皮質が、

        自分を鍛えてくれていないことへの不満を訴えているのだろう。



        これを鍛えない・何もしないことは、今の現状が維持されるのではなく、後退していきます。

        なぜなら、何もしなくても必ず年は重ねていくし、

        身体という器、身体的機能は、誰もが衰えていくのですから。



        大脳新皮質 「ちょっと、僕のこと忘れてない?もう2日間も出番ないんだけど??

         使ってくれないと衰えちゃうよー 

        という声が聞こえる…



        最近、気軽に見れる海外ドラマを見ていたら、リアルに頭痛が増している。

        「気楽に見れるなあ」と感じる娯楽は、アタマを使わないからこそ、「気楽に見れる」のであって、

        息抜きにはピッタリだけど、鍛える時間は別途確保しないとですね…



        この頭痛解消法は、とにかく脳のエンジンをかけて、アタマを使うことです。

        一読してわからないような内容の文章を読んで、理解しようとアレコレ考えてみる。

        「うーん、わかんないなー。なんでそうなるの?」 と思える内容に接して、わかろうと考える。

        わかる内容の文章を読むというのは、平坦な道、動くエスカレーターのようなもので、「鍛える」にはなっていない。

        今の自分より1段だけ上の階段に上がってみようとするのが、

        トレーニングに適切な負荷をかけるという意味で、鍛えるには丁度いいと思います。

        以前知ったことを思い出そう、言葉にして説明しようとしてみるのも、記憶力が鍛えられます。



        こうして、大脳新皮質の「本能」である成長欲を満たすこと、

        今の自分の思考力の限界に挑戦していると、頭痛はすっと消えます。

        大脳新皮質さんが満足してくれるみたいです。



        こんなふうに書くとなんとなく頭よさげに誤解されるかもしれないけど、

        実はそうではなくて、思考脳の鍛え方が不十分だからこそ、

        妙な頭痛が生じるのではないかと推測しています。


        司法試験をやってみて、思考ゲーム、論理ゲームに長けた人達に山ほど接してきました。

        彼らはもともと論理向きで、論理脳が発達している上で、更に好き好んでそこを鍛え続けている。

        自分は彼らに比べたら全然まだまだだな〜、ということは実感できました。

        司法試験は相対評価で、他人との比較で合否が決まるので、

        全員の中で自分がどの位置にいるかという比較の視点が必要になります。

        「世界に一つだけの花」とは真逆の世界観なのですが、

        ゲームのルール的に相対評価を採用しています。



        「勉強したくないな」という気持ちは、実は、感情・心理レベルであって、脳のレベルではない気がします。

        その気持ちは、昔勉強で嫌な思いをしたとか、

        できなくて馬鹿にされたり、恥ずかしかったという辛い記憶、

        今の自分には目の前の内容を理解できないという、劣等感・コンプレックス。

        これができたってどうせ〜、という徒労感。

        これらすべて、私も経験があります。

        そしてこれらの感情や記憶が、

        勉強に対する心理的な拒否感・抵抗感の元になっています。

        でも、ヒトの脳そのものは、学び、成長することを欲している、脳の本能として。

        My brain says Yes but my heart says No. 

        脳は勉強したいけど、心は勉強したくない。という状態。

        こういうときは、

        なぜ自分がこの勉強をするのかという根本的な目的を再認識した上で、

        過去と未来を水門で遮断して、今・ここ・自分だけに焦点を当てるのが一つの対策かもしれません。

        過去は思い出さなければ存在しないと同じなので、

        今ここで、お花に水をあげるように、脳に勉強という栄養をあげる。

        それにしても、この孫悟空的な頭痛がなんなのか、詳細はナゾに包まれています 


        posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 00:00 | comments(0) | - | - |
        靴擦れ防止にバンソーコー
        0

          ツイッター代わりにブログでつぶやきまーす。
           
          サンダル、ミュールが活躍する季節になって参りました。

          これからの時期、持っていると便利なものといえば

          絆創膏。そう、バンソーコー。

          靴ずれ対策に。

          シミの原因の8割は、「こすること」にある by 宇津木先生

          サンダルが当たって、こすられ続けた部分って、色素沈着しやすいですよね

          そこでいつものポーチにマストアイテム、バンソーコー。

          靴ずれにナル前に、貼る。


          よく蚊に刺される方は、虫さされの薬も。

          虫よけ効果のあるアロマ、ティーツリーなどを小さいボトルで携帯し、シュッと一拭きしたり。

          あ、私はそんな優雅な技はないのですが、アロマ好きの知人が実践していました。

          リフレッシュ効果のあるレモングラスなんかも別のボトルで携帯していたりして。

          ポーチに夏対策グッズ、あると便利ですね♪

          posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 00:00 | comments(4) | - | - |
          「平均寿命」の新しいイメージ
          0

            東京は猛暑日が続いておりますね

            皆様いかがお過ごしでしょうか。

            タイトルの通り、「寿命」について持っていたイメージを、刷新することにしました。


            まず、統計を確認すると、

            世界保健機関(WHO)の発表では

            日本人の平均寿命は、83才。(2011年時点)

            男性79才、女性86才。(女性の方が7年も長生き 

            なお、日本はスイスと並ぶ、世界一の長寿国だけど、

            80才以上の国は32カ国もあるので、日本だけが長寿というわけではない。


            そして、この平均寿命というのは、

            乳幼児・少年など若年層の死亡も含めて計算しているのだよね。

            厚労省の統計もそのようだ。


            ということは、例えば、今2013年の時点で健康な40才は、

            余命43年どころではなく、もっと長いはず。

            今から40年も経てば、医療もさらに進歩している。

            幹細胞とかiPS細胞とか、ちょっと前まで考えられなかったような研究も、成果を出している。


            すでに2011年の時点で、100才以上の日本人は、5万人以上。



            世界一の長寿記録は、昨年なくなった、京都の木村次郎右衛門さんだった。

            2011年に115回目の誕生日を迎え、ギネス認定。

            「みなさんに愛されまして、口では言い表すことができないほど感無量でございます。サンキュー」

            と、粋なコメント。

            1898年、明治31年生まれ。

            今年6月、116才で老衰で他界されました(直前に肺炎になったとのこと)。


            二度の大戦もあった激動の時代・・・

            たとえ木村さんが裕福な家だったしても、

            食料、栄養状態、生活環境も大変だったでしょうし、

            生きやすさとしては、現代の方がはるかに恵まれているはず。


            その御方が116才まで生きられたということで、

            おそらく今の40代、50代、60代とかで健康な日本人は、

            120才、130才くらいまでの人生計画も考えておいた方が良さそうです。


            そして、キャリアチェンジの機会・可能性も、今後ますます増えていきますよね。

            昔は手作業でやっていた職人技は、機械でできるようになり。

            何日もかかっていた測量や製図もコンピュータで短時間でできるようになり。

            コンピュータの台頭、ロボット技術の革新。

            チェスは、コンピュータが世界チャンピオンといい勝負で、

            チャンピオン以下のチェスプレーヤーはコンピュータには勝てない時代。

            他方、専門技術を必要としない労働力はアジアなど諸外国の方がコスパがよい。



            通訳・翻訳とかの世界は、

            まだコンピュータは人間に及ばないけれど、

            コンピュータ/ロボットに膨大な書物を読ませ、膨大なパターンの会話を聞かせて、

            訳の性能をもっと上げていけば、

            いずれ、大体のことは翻訳機・通訳機でまかなえる時代が来るかも。



            計算も、数十年前までは暗算やそろばんでやっていたけど、今やすべて計算機。

            子供の脳の成長のためにあえてそろばんを扱っている学習塾もあるけれど、

            教えられる人材の減少とともに、いずれそれも減っていく。


            まとめると、

            50代くらいで病気知らずならば、事故でも遭わない限り、そう簡単にはお迎えは来ない。

            120才くらいまで生きることは、実際ありうる。

            そんなに長く生きたいとは思っていない人だって、健康なら100才超えは十分ありうる。

            どうせ同じ時間生きるなら、「いやだな・・・そんなに生きたくないのに」なんて思いながら過ごすより、

            楽しく充実して生きるほうが、断然嬉しいですよね。

            実際、100才くらいまで働けることを考えておこう。

            時代の変化に合わせて仕事を変えることも視野に入れながら。


            そのためにも

            「私はもう何才だから・・・」と、自分で自分に引導を渡してみたり、

            なんとなく自分を見限るような発想とは、サヨウナラ 

            いい意味で見極める・諦めるで、サッパリと切り替えて前に進むというのは素敵だけど、

            自分はもう○才だから遅いわ、無理だわ、なんて、

            やってみないうちから尻込みするのは勿体無いですよね。


            人生120年、まだまだこれからなのです


            posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 00:00 | comments(1) | - | - |
            今でしょ先生の言葉メモ
            0

              「今でしょ」で時の人になっている林先生の言葉を、

              遼子ちゃんがコメント欄でシェアしてくれていました。

              ---------

              学校で学ぶということについて。


              「社会において必要な能力は「解決」と「創造」。

              その二つを訓練するのが学校。

              学校が合うか合わないかって運。

              1人の先生に会えるか会えないかというのも運。

              でも「解決」と「創造」が高ければやっていける(成功できる)。

              「解決」と「創造」に必要なのは「考える力」。

              学校の勉強の成績のいい悪いはどうでもいい。

              だけど自分の頭の中で考えていくこと、

              考えて物事を「解決」したり、

              考えた事を作り出す(「創造」する)能力は、

              絶対どんな人でも高くする必要がある。

              それを高めていくために君はどうする?
              ---------


              この問いに対する一つの答えとして思ったことは…

              次のような力を鍛える、ということかな。

              1 気づく力・・・疑問を持つ、問題の所在に気づく。

              2 インプット・・・学ぶ力、外にある情報や知恵を入手する

              3 考える力・・・入手した情報を参考にしながら自分で考える

              4 アウトプット・・・考えついた解決法を外へ表現する力、人に伝える力



              今でしょ先生の「解決」「創造」の分類で言えば、

              1にいくほど「解決」に近く、4にいくほど「創造」に近いけど、

              その間は峻別はできず、グラデーションみたいに両方の要素をあわせ持っている。



              特に、他者・外界から情報・知恵を受け取る力は「学ぶ力」といってもいい。

              そして、学ぶ力を訓練する一つの方法が、学校の勉強かな。


              >自分の頭の中で考えていくこと、考えて物事を「解決」したり(する力)


              これに付け加えるなら、
              自分一人で考えるだけでは、解決できない事が沢山あるんだよね。

              むしろ自分の頭の中で考えているだけでは行き詰まり、事態が悪化することもある。

              問題が起きたり、疑問を持ったりしたら、本を読んだり、人に相談したり、話を聞いたりして、

              問題の所在をクリアにする、視野を広げる、今までの自分にない視点を学ぶ、

              というように他者・外界から学ぶ力が必要だと思うなあ。


              自分だけで考えて解決できた人って、

              悟り開いたレベルの天才だけだと思うのよね。

              究極的には、ブッダ、老子、キリスト、アインシュタインなど。


              私達は皆「外から学ぶ」と「自分で考える」の両方が必要だわね。

              林先生の言葉で、学生が「よし、自分の頭の中だけで考えてみよう」となってしまったら、むしろ解決から遠ざかるかもしれない。

              私だったら、「君の疑問点に関連する本を読んだり、調べたり、人に相談して話を聞くのと並行しながら、自分の頭でも考えなさい」とオススメしたい。

              数学の問題を解くなら一人で考え抜くのもいいけど、人生で直面するのは数学とは全然違う種類の問題だからね。


              多分、先生のいう「解決力・創造力」には「外から学ぶ力」も含まれているのだろうね。

              私は、変化や成長の鍵は、「学ぶ力」にあると思うな。

              例えば、自分が宇津木流や食事法を学び、肌や体調の問題を「解決」できたのも、
              他者の知恵に学んだから。

              自分の頭だけで考えていては思いつかなかったわ〜

              「まなぶ」の語源は、「まねぶ」。

              良さそうだなと思ったら、まず、真似してみることが大事なんだよね。 


              もっとも、他者のやり方を鵜呑みにせず、自分で考えながらやっていくことは、どんなときにも必要だろうね。

              そういう意味では、宇津木流や、どんな食事法も、ファイナルアンサーというものはなくて、

              肌や体の調子をよく観察しながら、自分で考えて、更に良いもの(自分に合うもの)に改良していく、ということは必要だね。


              林先生の思想・教育論などをちゃんと読んだりしたことがないですが、興味深そうです。

              「今でしょ」の下記の絵、HIS社員さんも皆首からストラップで付けていました。

              時の人ですねー





              posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 00:00 | comments(1) | - | - |
              カラオケ接待の心得
              0

                東京は梅雨ながら、ここ何日かは良い風が吹き、過ごしやすい日が続いています。

                ところで、7月中に偉い方々との暑気払いで、カラオケナイトが企画されています

                ノリにノった50代以上の男女の皆様で、仕事も遊びも、勢いが違います。。。
                バブルの勢いが衰えていないっ
                いや、バブルとか関係なく、終始景気が良い人っているんですよね。

                彼らから見たら、最近の20代・30代、覇気がないわーって映ると思います(汗)
                私も特に覇気もなく波にも乗ってないので、彼らから見たら歯がゆいだろうなあ…(汗)

                そんな私めが今回はダントツの若輩者・下っ端なので、カラオケでの心得を復習φ(.. )


                ■席次

                皆様が奥の上座に座られるようにして、自分は末席を確保。

                ドアに一番近く、電話がすぐに取れる席。

                ちなみに、タクシーでは助手席、エレベーターでは操作ボタン前の立ち位置で。

                私はアルコール飲まないので、酔ってウッカリ、がないのは安心だ。

                ウッカリするときはただ単にウッカリしているだけで、お酒のせいにできないさだめ…

                ■メニュー注文、ドリンクを切らさないようオーダー。

                ■カラオケ機材の操作。曲入れ、音量の調整。曲を途中でキャンセルする時はフェードアウトで。

                ■歌に耳を傾け、拍手を。

                http://manaracchi.com/p4-10.html

                ■他の方の「十八番」をうっかり歌わない(笑)

                自分が歌うときも年代的に皆がわかる曲を中心に、

                しかしそればかりだと日和ってる感じになるので、最近の歌も適宜混ぜるとかね。

                私も最近の歌を知らないので、万が一最近の曲などリクエストされると焦りますね(^^;)




                こんなところでしょうか

                カラオケ接待の注意点をまとめたサイトが、あまり充実していない。

                何を歌うかというテーマはよく見つかるけど、

                歌以外の細かな気配りのアドバイスとかを求めております。



                --------


                さて、場所は「パセラリゾーツ」なんですが、昨年行ったときはカラオケの機種が古くて、ちょっとイマイチでした…

                新しい機種のあるお部屋にして下さい、って言えばしてくれるのかな

                ちなみに「カラオケ館」の最新の機種はGood!音も映像も、断然良かったです。


                70年代以降のヒットソングというと、

                ピンクレディー、キャンディーズ、山口百恵、中島みゆき、とか、あとなんだろう…

                聖子ちゃんは私の音域では難しいですが、1曲くらい歌いやすい歌があるか探してみようかしら…


                遼子ちゃん、銀座でカラオケ練習に付き合ってくれないかなー(^人^)

                防音な個室で、ぜひ娘ちゃんも一緒に!騒いで踊ってノープロブレム!!


                posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 21:00 | comments(2) | - | - |
                「罪を憎んで人を憎まず」について
                0

                  梅雨らしい雨模様ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか


                  今日は「罪を憎んで人を憎まず」という格言について考えてみたいと思います。

                  これは孔子の言葉にあり、また、聖書にもこの精神が現れていると言われています。


                  孔子は、「昔の裁判所では、裁判のとき、罪人の心情は憎んだが人そのものは憎まなかった」
                  という文脈で話したようです。

                  裁判所という第三者のスタンスを、参考にすべき理想として、紛争を冷静に捉えて、

                  罪人の心情を憎んでも人そのものは憎まずにおきましょう、という理想論・目標を掲げている

                  ように思います。




                  また、聖書のヨハネ福音書には、こういうエピソードがあります。

                  ---------

                  イエスを快く思わない人々が、

                  イエスを陥れようとして、不倫をした女性を連れてきた。

                  当時の律法では、不倫した女は投石により死刑に処す、と定められていました。

                  なので、イエスが投石を拒否すれば、法に背くことになるし、

                  投石すれば、イエス自身の教えと矛盾することになるし、

                  どちらにせよイエスは困った立場に立たされることになる。


                  イエスは彼らに取り合わず、こう言いました。

                  「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

                  人々は誰も石を投げることはできず、その場を立ち去っていきました。

                  ---------


                  イエスは、人間は誰もが過ちを犯す存在だから、他人事として罪人を断罪することはできないはず、

                  私達は皆この女と変わらないのですよ、私達一人一人が当事者なんですよ、というスタンスのように思います。



                  さて、この二者の見解をおさらいしたところで、私はどう考えようかな…

                  「罪を憎んで人を憎まず」は、現実に何かの被害に遭っている当事者にとっては、とても難しいスタンスだね。

                  第三者(裁判所)が「罪を憎んで人を憎まず」的な寛容・冷静な発言をしても、

                  しょせん対岸の火事というか、火中にいないから言えることでしょ?という気もするよね。

                  逆に、判断者はどっちかをエコヒイキしちゃだめで、中立に見ることが求められていると考えれば、

                  「罪を憎んで人を憎まず」は裁判所に求められている役割であるといってもいい。

                  しかし、これは冷たいんです。

                  自分が味方を必要としている時に、周りが冷静な中立者ばかりだったら、ほんと救われないよね。




                  当事者の立場では、「罪を憎んで人を憎まず」などとは中々思えないものだし、また、無理に思わなくてもいいと思うのよね。

                  当事者は当事者として、自分の立場に誇りを持って、自分の立場を尊重して、

                  自分の立場から言えることを精一杯言っていくことが、役割かもしれない。

                  こういうことで困っているのでやめて下さいとか、私の希望はこうです、ってね。



                  例えば、中国(台湾でなく大陸の方)がチベットに侵攻したとき、

                  チベットは「罪を憎んで人を憎まず」とか言って鷹揚に構えている必要はないわけで。

                  侵攻を受けた立場として、言うべきことを国際社会に発信し、

                  自分の領域を守るために防御したり応戦したり、

                  やるべきことをやっていく権利があるよね。

                  それが自分に与えられた、大切な役割であるといってもいい。



                  また、イエスの不倫女性の例を、日本の民法で考えると、

                  不倫事件の当事者は、4人ということになるね。

                  例えば、Y子&A男、 B子&Z男が、それぞれ夫婦であるとして、

                  Y子とZ男が不倫したとしよう。いわゆるダブル不倫。

                  この場合、Y子とZ男が、共同不法行為の加害者。

                  そして、A男とB子が、被害者の立場になる。

                  なので法的には、

                  A男は、Y子とZ男に対して損害賠償を請求でき、

                  B女も、Y子とZ男に対して損害賠償を請求できることになるね。




                  このような被害者の立場になった場合、「罪を憎んで人を憎まず」とか言う必要はなく、

                  自分の立場からの主張を精一杯していってよいわけだし、

                  また、加害者の方も、何らかの事情や誤解があるのであれば、それを精一杯主張することが役割といっていい。



                  このように、「当事者」に足場を置いているときは、「罪を憎んで人を憎まず」を無理に実践しなくてもいいと思うんです。

                  また、こういう争いを前にしたとき、第三者が他人事として「罪を憎んで人を憎まず」と発言するのは軽々しいし、空しい響きがする。

                  英語のことわざで、

                  put yourself in someone's shoes

                  その人の靴を履いてみなさい。相手の立場に立ってみなさい。

                  っていうのがあるね。

                  もう少し付け足すなら、

                  Put yourself in her shoes, before you judge her.

                  人を批判する前に、その人が辿ってきた道を、同じ靴を履いて歩いてみよ。

                  という感じかな。


                  第三者が軽い気持ちで「罪を憎んで人を憎まず」と言うとき、

                  当事者の靴を履いていないなあ、痛みがわかってないなあ、という印象も受けます。


                  しかし、被害者自身が、いつしか当事者のレベルを超えて、

                  「罪を憎んで人を憎まず」と言ってそのスタンスを実践し始めたときに、

                  この格言は重みを持ちます。



                  第三者が言っても軽いけど、被害を被った人自身が実践したときにこそ、

                  この格言の本来の意義が発揮されるのかもしれない。



                  私は、この格言は、罪人が許されるための言葉というより、

                  被害者が救済に向かうことを助ける言葉ではないかと思います。


                  「人格者になって寛容に罪人を許しなさい」というより、

                  被害を被ったあなたが相手の行為を問題視するのは、

                  あなたの立場上もっともなことであり、必要なことでもあるが、

                  他の誰のためでもなく、あなた自身のために、人への憎しみを手放しましょう、という意味です。



                  なぜなら、憎しみのエネルギーは、憎むべき罪人には届かず、憎しみを抱いた人自身を蝕むもの。

                  加えて、過ちを繰り返してしまうような愚かさは、人間の性質として、私達の誰もが持っている。

                  自分も過去に似たような過ちを犯したかもしれないし、もしかしたら将来、何かのはずみで過ちを犯すかもしれない。

                  だからこそ、人を許すことは、自分を許すことであり、

                  「情けは人のためならず」というように、他の誰でもなくあなた自身のために、人を許していくことをオススメしますよ、

                  という意味かな。




                  まとめると。

                  当事者の心境にも段階があり、初めから「罪を憎んで人を憎まず」の心境になる必要はない。

                  もし被害を被ったら、その立場として、堂々と言うべきは言い、戦うべきは戦い、

                  そうした段階を経て、そのうち「罪を憎んで人を憎まず」の心境に至れば、

                  それは相手のためというよりも、第一に自分のためになることであり、

                  自分の心もより一層平穏に近づくと思います。


                  梅雨の時期、皆さまご自愛ください・・・


                  posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 00:00 | comments(4) | - | - |
                  もったいない精神の落とし穴
                  0

                    こんにちは、周子です

                    ノー化粧品ライフ(宇津木流)は11ヶ月を過ぎました。

                    玄米菜食ライフは1ヶ月ほど経過しました。



                    最近の雑感メモです。

                    皆さんは 「もったいない」 という言葉から、どのような事を想像するでしょうか?


                    たとえば・・・

                    食べ物とか、色々なモノを粗末にしない。

                    電気(資源)を無駄遣いしない。

                    リサイクル。

                    ノーベル平和賞のケニア人女性の環境保護「もったいない運動」

                    などでしょうか。



                    物の豊かな飽食の時代にこそ「もったいない精神」を思い出し、物を大切にする心を見直そう。

                    そんな文脈で、「もったいない精神」が再評価されてきたように思います。



                    しかし、このモッタイナイズムは、使われ方によっては

                     「人よりも」 物を大事にする

                    という結果を招いていることが度々あります。

                    私個人の意見としては、人をないがしろにするモッタイナイズムは本末転倒であり、

                    違和感を感じています。



                    ◆例えば

                    夕食後。もうお腹一杯で、食欲は完全に満たされている。

                    体の素直な声を聞けば、これ以上食べたいとは思っていない。

                    しかし、残っているものを

                    「もったいないから、食べちゃおう」

                    「残さないで全部食べなさい!もったいないでしょ!」

                    というのは、食卓のよくある光景かと思います。

                    「アフリカの子どもは食べられないのよ、可哀相でしょ?」

                    なんていう、罪悪感・同情に訴える系のダメ押しまで追加されたりして。




                    このように、「食べたくないのに無理して食べる」は、

                    人より物を大事にしている。 

                    つまり「食べる人」より「食べられるもの」を大事にしている

                    という場面の典型かと思います。



                    身体的にみれば、食べ過ぎは胃腸にとって過重な負担。血糖値上昇その他の弊害がある。

                    そして、心理的にみれば、食べたくないという体の率直な声を無視して

                    「物を無駄にしてはいけない」という義務感、罪悪感から行動している。

                    心身の健全さを犠牲にしているわけです。



                    もし、物よりも、人の心身の健康や、素直な体感覚や、体のメッセージを尊重するならば、

                    すなわち、その人自身を尊重するならば、

                    残っていても「食べない」という選択が尊重されてよいと思います。



                    これに対しては、作った人に悪いから、とか

                    苦労して作ってくれた農家の人や料理人の気持ちはどうなるのか、といった視点もありえます。

                    この点は、自分にとって必要十分な量だけ美味しく頂いたことで、

                    作った人の気持ちにも十分に応えたと思いましょう。


                    自分を犠牲にしてまで誰か他人の想いを満たさなければならないとしたら、

                    それは一種の上下関係で、本来人間にはそういった序列は存在しません。

                    なので、自分の本心に反して他人のニーズを満たす必要はないという、

                    それぞれの自由を尊重する方向性を採用しておきます。


                    そんなわけで、義務感・罪悪感一切なく、

                    「もうお腹いっぱいです、ご馳走様」を言い合える、

                    それに対して、モッタイナイジャナイカ、という責めのツッコミが入らない社会は、

                    モッタイナイズムより成熟している感じがします。




                    ◆その他の例

                    化粧品の害はわかったけど、これ高かったし、捨てるのもったいないなぁ。。。(昔の私)

                    白砂糖や化学調味料の害はわかったけど、もったいないから捨てにくいなぁ

                    今の使い切ったら甜菜糖を開けようかな。。。(昔の私)




                    多分、これらの場合は、その物の害が実際どんなものか理解していない。

                    あるいは、人より物を尊重する「モッタイナイ習慣の罠」にはまっている可能性があります。


                    別の例としては、もう絶対に着ないであろう服たち。

                    収納スペースが足りなくなってきて、服があふれてしまっているけど、もったいないから捨てられない。。。


                    これも、自分がスッキリ暮らすという気持ちよさ・清々しさを求める心の声を斥けて、物質を優先している例です。


                    ずばり、モノに支配されている。

                    人間性を二の次にして、物質的豊かさを重視している。

                    比較的年齢の高い世代に、この傾向が強いように思います。

                    物不足の時代に思春期を過ごし、追いつけ追い越せで物質的豊かさを追求してきた世代だと思います。

                    自己犠牲を自分にも他人にも求めていく姿勢は、私にはとても真似できないのですが、


                    あえて言うと。

                    もはや戦後ではなーい!

                    ということであります。

                    豊かさとはなんぞや。

                    新たな価値観が求められています。




                    そもそも「勿体無い」は仏教の言葉で、

                    物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表しているそうです。

                    とすると、

                    体に悪い食べ物や、肌に悪い化粧品は、

                    人間が本来的にもっていた美しさ・健康さを損なうものなので、

                    処分しても、全然もったいなくないのです。



                    というわけで・・・・

                    私はモッタイナイズムを手放しで賞賛しません。

                    生活や人生を、もっと大胆に・もっと自由にチェンジしていきたい、
                    不要なものを手放して身軽にしていきたい私としては、

                    「モッタイナイズムという呪縛からの解放」を唱えていきたいです。

                    言い換えれば

                    「モノからヒトへ」の価値のシフトであり、

                    自分を尊重し人を尊重する態度であり、

                    いらんもんはいらん、ってことですな!




                    「もったいない」という発想は、

                    優先したいものにスポットライトを当てる一方で、犠牲にされるものは闇に隠れて見えなくなる。

                    モッタイナイという言葉で何かを優先しようとするとき、同時に、無意識に何を犠牲にしようとしているのかを、しっかり見極めたい。


                    んー、カタい話になっちゃったけど、要は、

                    肌ケアを変えたい。生活を変えたい。っていう気持ちがあるときに、

                    モッタイナイズムが足かせになっているとしたら、モッタイナイよね!

                    ってことです

                    長文を最後まで読んで下さって、ありがとうございます


                    posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 20:00 | comments(0) | - | - |
                    デジカメ購入
                    0
                       
                      こんにちは、周子です

                      デジカメを買いましたっ

                      Canon IXY 610F

                      色はゴールドにしてみました







                      無線LANでパソコンやスマホに画像がスムーズに転送できます。

                      シャッターボタンは、「半押し」でピントを合わせてから、「全押し」で撮影するタイプですが、

                      そうとは知らない通行人に頼んで撮ってもらう場合にも、あまりブレないようにできています。




                      「カメラが人物、背景、笑顔、さらに明るさ、色合いなど、

                      被写体に合わせて58シーンから認識し、自動で設定を調整。

                      どんなシーンも簡単キレイ!」

                      ということで、オートモードにまかせっきりです。

                      お料理を色鮮やかに撮るには、雪景色でも自然な色合いに撮れる

                      「スノー」モードがいい感じです

                      なお、店員さんいわく、操作パネルがジョグタダイヤル式のものは、

                      慣れないうちは疲れるということで、押しボタン式にしました。



                      ビックカメラ渋谷東口店の、デジカメ担当の大橋さん(お名前ちょっと違ったかも)、

                      デジカメ業界にすごく詳しい

                      デジカメ選びについて2時間講演して下さいと言われたら、

                      立て板に水でしゃべり続けることができそうです。

                      私も40分以上、デジカメ選びにお付き合い頂きました。


                      カメラの人気やニーズがどう移り変わってきたか、という歴史的なお話もあれば、

                      不況の時代に好まれるカラー、

                      画素数と画質の関係などなど、

                      スラスラと説明してくれました。

                      各機種の行き届かない部分もハッキリ言ってくるので、

                      単に売ろうということでなく、

                      本当にカメラの世界が大好きなんだな〜という、

                      カメラ愛が伝わってきました。



                      動画が得意な機種と、静止画が得意な機種の、撮れ方の違いについて、

                      自らランニングマシーンのような、若干コミカルな動きをしつつ、

                      わかりやすく説明してくれました。

                      なかなか舞台映えしそうな動きで、

                      「デジカメ選びセミナー」の会場でやったら受けがいいだろうな、と

                      一瞬、架空のセミナーに参加している気持ちになりました



                      あれやこれや場所を移動しながらデジカメを選び、

                      私の用途にちょうどよい容量のSDカードと、

                      この機種に合う液晶の保護フィルムも素早く選び出して頂き、

                      何種類かある保証の説明も丁寧でした。

                      「見た目外傷がないけど内部的な謎の理由で動かない」トラブルに対応する保証や、

                      逆に、外傷がある場合に対応する保証、

                      たとえ粉々になっても本体の一部を持参しなければ対応できない、紛失には対応していない保証など。

                      イロイロ種類がありました。


                      それぞれの違いのポイントを押さえていて、

                      説明が行き届いていて、納得のいく買物ができました。

                      製品に精通しているプロ意識の高い店員さんは、当たりですね

                      とっても感謝です

                      posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 21:00 | comments(0) | - | - |
                      【備忘録】時間割り
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                        こんにちは。遼子です☆ 
                        自分の備忘録に投稿させていただきます。m(_ _)m 

                        娘(2歳)といて、平日午前中予定がないとダラダラしちゃうので(今日見たく..汗.)、
                         タイムスケジュールを作りたいと思います。 

                        ≪平日(午前中予定がないとき)≫ 
                        6:30
                         ・起床 ・身支度 ・旦那のお弁当づくり 
                        7:00
                        ・旦那に朝ごはん 
                        ・ゴミ捨て 
                        7:15 
                        ・洗濯物あらう&ほす 
                        ・ストレッチ 
                        ・娘起床⇒娘に朝ごはん 
                        ・授乳 
                        ・掃除(床掃除、拭き掃除、風呂掃除、ベッドメーキング) 
                        10:00 
                        ・娘と散歩 
                        ・公園遊び 
                        12:30 
                        ・帰宅 
                        ・お昼ごはん 

                        ※昼〜夜御飯は省略。昼寝する時間が不規則だから。 
                        ※生理前や生理中のだるさがつらい時は10:00〜12:30は外遊びではなく家遊びに変更 

                        ≪夜≫ 
                        夜御飯後すぐに皿洗い&お弁当箱洗い 
                        ⇒娘を風呂に入れる 
                        ⇒娘の歯を磨く 
                        ⇒娘を寝かす 
                        ⇒ジョギングとシャワー 
                        ⇒録り溜めした番組をみながら衣類のアイロン 
                        ⇒録り溜めした番組をみながらストレッチ 
                        ⇒へやの片づけしたら就寝 

                        ※生理前や生理中のだるさがつらい時は「ジョギングとシャワー」と「アイロン」を省略。

                        4月から娘が母子分離の幼児教室に月3〜4回通う予定なので、そのとき勉強や読書を再開できればと。。 

                         ジョギングも予定通り再開できるかわからないけど、
                        週末にジョギング用のパンツが届くのでがんばる おてんき 

                         時間割り通りにいきますようにお願い
                        posted by: tokitaikojo | メモメモ☆ | 10:52 | comments(2) | - | - |